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横浜地方裁判所 昭和31年(ワ)769号 判決

原告 風間力衛

被告 株式会社 横浜銀行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告は原告に対し、名誉回復のため、東京都において発行する日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、横浜市において発行する神奈川新聞、の各三面に二段抜き四分の一を以て、左記文案(謝罪広告、横浜銀行の一〇字は三号活字その他は四号活字として)の広告を各引続き二回掲載すべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

謝罪広告

当行は事実の調査もせず、不法にも貴殿に対し、横浜地方裁判所に約束手形金の保証義務履行の訴を提起しましたが、数回の公判に於て当行の主張は少しも立証できず、遂に当行の敗訴になりました。

右は貴殿の御立場も考えず、軽卒不謹慎な行為により、貴殿の御信用と御名誉を毀損したもので誠に申訳ありません。

右陳謝いたします。

横浜銀行

頭取 吉村成一

風間力衛殿

第二、請求原因

要旨は次の通りである。

一、原告は、大正六年一月以来引続き東京都に事務所を設け弁護士を業としているものであり、被告は七億の資本金をもつて、本店を横浜市におき、東京都その他に多数の支店をもつ銀行であるが、被告は昭和二九年三月二七日、原告を相手どり、原告が訴外大東株式会社振出の被告銀行宛て左記三通の約束手形の保証をしたと、予備的に被告が右訴外会社に対し右約束手形振出の各日に貸付けた右手形金額相当の貸金債務の保証をしたと主張して、その各保証債務の履行として、合計金六二二、二二八円及び内金三〇〇、〇〇〇円に対しては昭和二五年一〇月三日から、内金二〇〇、〇〇〇円に対しては同月七日から、内金一二九、二二八円二二銭に対しては同月一七日から各支払済まで一〇〇円につき日歩四銭の割合による金員を求める訴を提起した。

(金額)     (振出日)    (満期)

(1)  三〇〇、〇〇〇円 昭和二五年九月二日 同年一〇月二日

(2)  二〇〇、〇〇〇円 同月七日 同月六日

(3)  二〇〇、〇〇〇円 同月八日 同月七日

右三通とも振出地支払地とも横浜市、支払場所横浜興信銀行元町支店

右事件は同庁昭和二九年(ワ)第三六八号約束手形金請求事件として第三民事部において審理され、昭和二九年四月二二日から翌三〇年四月一九日までの間八回の口頭弁論を重ねたが、被告はその間自己の主張事実を何ら立証せず、その結果右訴訟は「訴外大東株式会社が原告主張の約束手形を振出し、被告がその債務を保証したこと及び右訴外会社に原告がそのような貸付をなし、被告がこれに保証したことは、いづれも認める証拠がないから、原告の請求は失当である。」との理由で原告(本件被告)敗訴の判決が言渡され、右判決はそのまま確定するに至つた。

二、ところで右訴訟における被告の主張事実は、全く事実に反し、原告の少しも関知しないところであつた。凡そ法治国においては弁護士の社会的地位は誠に高く、その信用を重んずる職業の性質上その社会的評価即ち客観的名誉は極めて高く且つ重要である。従つて弁護士の名誉感情も一般人に比して甚だ鋭敏であり、これが傷つけられた場合の苦痛も非常に甚しいといわなければならない。特に四〇年間何の過誤もなく、弁護士業に精励し、相当の地位と資産を有するに至つた原告にとつては、金銭債務は勿論その他の債務のためにも、裁判所に訴えられることは最大の不名誉である。かかる立場にある原告に対し、被告は前記のとおり事実に反する訴を提起したために、原告の名誉はいたく侵害され、その精神的苦痛は筆舌に現し難いものがある。

三、苟しくも信用を重んずる銀行業者としては、保証債務の履行を求めて訴訟を提起するに当つては、保証の事実の有無請求権の存否につき調査をなすべきは勿論のこと、手形保証又は貸付金につき保証をなさしめる場合にその保証人が未知の者であるときは同人に来行を求めるとか、印鑑証明書を出させるとか、書面または電話で保証の有無を確める等、保証の事実を確認し、更に弁済期を徒過した場合にも同人に対し支払の催促をするなどの注意を払うべきは当然である。しかるに被告は何らそのような手続をとることもなく、右手形の弁済期後三年を経過した昭和二八年一〇月三日に至つて、突然原告に対し代理人を介して前記手形金の支払を催告してきた。これに対し原告はそのような保証の事実のないこと、弁護士の信用は重要であるから事実を調査するよう回答したのであつて、被告はその際なお相当の注意をもつて前述のような方法で調査をすれば、その主張のような債権のないことを充分知り得た筈である。それのみならず、被告は昭和二五年九月一二日頃、訴外大東株式会社に対し、前記約束手形三通を割引いた際、その担保として同会社から新野村貿易株式会社の株券六、〇〇〇株(額面三〇〇、〇〇〇円)を受取り、右手形の弁済期後前記訴の提起前にこれを自行名義に書替えている。右担保株券は手形割引当時は勿論、手形の支払期日当時も、手形金額以上の価値を有していたものであるから、被告が右担保株券を処分したことによつて、右手形金債務も消滅したものである。それにも拘らず被告は前記調査を怠り、右担保処分の事実も秘してその後五ケ月を経過して第一項記載のとおり原告に対する訴を提起したのであるから、被告は故意もしくは過失により原告の名誉を毀損したものといわなければならない。

四、それに加えて、凡そ訴権の行使に当つては、なるべく短期日に必要な攻撃方法を尽して相手方の時間と労力を省き、且つ相手方が信用を重んずるものであれば、相手方の名誉を侵害する機会を減少させるよう努力するのが当然であるに拘らず、被告は、原告が右訴の最初からその主張事実を否認し、充分調査せずにかかる訴を提起することは一般銀行としての常識に反し、ただ原告の信用を傷つける為の行為であると主張したのに対し、八回に亘る口頭弁論の間一言の答弁もせず、且つ自己の主張について何の立証もすることなく、漫然と期日の延期を求めていたずらに訴訟を延引し、その結果先の判決を受けるに至つたものである。原告は四〇年来東京都に事務所を設け、弁護士業を続けて来たものであるが、一般に東京在住の弁護士は、横浜地方裁判所係属事件に関係することが多く終始同裁判所に出入しており、東京在住の弁護士はもとより、横浜在住の弁護士の大部分とも旧知懇意の間柄にあり、裁判官やその他の職員の大多数とも旧知の間柄にある。このような関係にある横浜地方裁判所において、前記のとおり何回もの口頭弁論期日が開かれたため、その度毎に原告は金銭債務請求の訴の被告として、法廷の入口の掲示板にその氏名を表示され、同僚弁護士の多数在室する法廷において、事件の呼上を受け、審理を受けたので、右の事実は知人同僚をはじめとして多数人に周知されるに至り、原告の名誉は強く侵害されることとなつた。右は被告が故意に訴権を濫用したか、訴権行使に当つて前記注意義務を怠つた結果であるから、被告は原告に対し、その名誉回復のために適当な方法を構ずる義務がある。

五、ところで、原告は前記のとおり、東京都に事務所を設け、四〇年近く弁護士を業として来たもので、不動産その他を合せて三、〇〇〇万円以上の資産を有し、年収二〇〇万円を下らず、兼ねて大機ゴム工業株式会社その他数会社の監査役法律顧問等の職にあるものであつて、東京横浜の弁護士、裁判所関係者とは旧知の間柄にあるものである。本件は横浜地方裁判所で審理され、前述の如く八回に亘る口頭弁論期日毎に、原告はその被告としてその名を提示され、呼出され、審理されたのであつて、そのためこの事実はこれら旧知の人々に周知されるに至つたのであるから、そのような事情を考慮し、被告の地位資産等を勘案すると、原告の名誉回復の方法として、請求の趣旨記載の謝罪広告が最も適当な方法である。

よつて原告は被告に対し、その履行を求める。

第三、被告の答弁

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求めた。

請求原因に対する答弁の要旨は次のとおりである

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項中、原告が弁護士を開業していること、弁護士は社会的信用を重んずる職業であることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

被告銀行元町支店は当時原告が代表取締役をしていた訴外大東株式会社(旧商号は旭運輪梱包株式会社)に対し、原告及び戸崎徹、得居孝臣、中村正男の保証の下に、

1  昭和二五年八月一日二〇〇、〇〇〇円を弁済期同月三一日とし、

2  同年九月二日三〇〇、〇〇〇円を弁済期同年一〇月二日とし、

3  同月八日二〇〇、〇〇〇円を弁済期同年一〇月七日とし、

いずれも利息は日歩二銭六厘、弁済期後の遅延損害金日歩四銭の定めで貸付け、右1の貸金についてはその後同年九月八日当事者間の合意で弁済期を同年一〇月六日に延期した。訴外会社は右債務の支払のために、原告及び前記戸崎等三名の手形上の保証ある、請求原因第一項掲記の約束手形三通を、各その振出日に被告銀行宛て振出した。しかるに、原告等は右手形金の支払をしないので、被告は訴外会社及び原告他三名を相手どり、横浜地方裁判所に原告主張のような約束手形金請求の訴を提起し、併せてその主張のような予備的請求原因も主張したのである。このように右訴訟事件における被告の主張は真実に基くものであるから右訴の提起によつて原告の名誉が侵害されたことはない。

三、同第三項中、被告が原告に対し前記約束手形金支払の催告をしたこと訴外大東株式会社からその主張のような株券を担保として受取つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

仮りに原告が前記約束手形に保証したことがなかつたとしても、原告は当時訴外大東株式会社の代表取締役であつたが同会社の実際の運営一切は代表取締役の一人訴外戸崎徹(原告の四女の夫)がその衡に当り、戸崎は同会社の代表取締役社長である原告の名において、被告と取引していた。訴外会社に対する被告銀行の本件融資も、戸崎が被告と折衡の結果、原告及び前記戸崎等三名の個人保証の下になされたものであり、被告は原告、戸崎等の人格を信じていたために、原告の保証を真実として疑わなかつたのである。よつて、被告銀行が原告に対しかかる保証債権を有するものと信じ、前記のような訴を提起したことについて被告に何の過失もない。

金融業者において手形保証又は貸付金につき保証をなさしめる場合にその保証人が未知のものであるときは原告主張のように保証の事実を確認し、或は支払の催促をすることが徳義上親切なやり方ではあろうが、保証殊に商行為による連帯保証に基く債権を有すると信ずるものからすれば、債務者において責任を感じ、自ら債権者に対して、主債務者の弁済状況を問合せるものと期待するのが当然であつて、被告がその確認や催促をしなかつたことを責めるのは当らない。被告が原告に対し直ちに催告しなかつたのも、原告の学識、職業、前歴を深く信用し、できる限り主債務者から支払を受け、原告に迷惑の及ぶことを避けようとしたからに外ならない。

被告は訴外会社に対する本件の融資をなすに当り、同会社からその担保として大弥産業株式会社(後に新野村貿易株式会社に吸収合併)の株券六、〇〇〇株を受取り保管していたが、担保の方法については、質権、譲渡担保等特に約定がなく、いつでも名義書替ができるようになつていたので、被告はその配当金をもつて、訴外会社の債務の弁済に当てる目的で、その名義を被告元町支店貸付係行員の名義に書替え、受領した配当金を以て右債務の元利金の一部に充当した。しかし右は担保権実行のための処分ではなく、その後被告はしばしば担保権実行のためこれを処分しようとしたが売却することが出来ず前記訴訟事件の終了後である昭和三一年六日一二日、総額二七〇、〇〇〇円でようやくこれを他に売却処分しえたのである。

従つて、被告が前記約束手形金請求の訴を提起するについては、ことさら原告の名誉を毀損しようとする故意なきは勿論、事実の調査を怠り担保権実行の事実を秘す等被告の責に帰すべき過失は何等存しない。

四、同第四項の事実は否認する。

被告は右訴訟において原告の提出した抗弁に対して答弁をなし且つ自己の主張を立証する用意は充分あつたが、当時の訴訟代理人宮内重治弁護士の意見により、それをしなかつたに過ぎない。即ち八回に亘る口頭弁論期日中、第四回目に若干の弁論が行われたほか、第一ないし第三、第五、第七回はいずれも期日が延期され、第六回目の期日において、被告は原告風間力衛及び戸崎徹、中村正男に対する訴の取下げを申出たところ、原告がその取下に同意しなかつたので、右訴訟代理人宮内弁護士は第八回口頭弁論期日に出頭せず、被告(右事件の原告)敗訴の判決により、右訴訟を終了させたのである。従つてその間被告において訴訟をいたずらに延引するような事実はなかつた。

五、のみならず、原告は右訴の提起に先立ち、昭和二八年中訴外株式会社神戸銀行からも、訴外会社(当時の商号は星桜商事株式会社)とともに横浜地方裁判所に約束手形金請求の訴を提起され、同庁昭和二八年(ワ)第一一六一号約束手形金請求事件として審理された。右訴は第一回口頭弁論期日の後神戸銀行により訴が取下げられたが、原告は右訴訟事件の口頭弁論期日にも同一裁判所内において、法廷の入口の掲示板に氏名を掲示され、法廷でも事件の呼上げを受けているのであつて、このように接近した時に、同様な事件で同一裁判所において審理を受けたのであるから、被告の提起した前記訴によつて、原告の名誉が特に毀損されたものとはいえない。

六、同第五項中、原告の資産地位に関する部分は知らない。その余の事実は否認する。

第四、証拠

一、原告提出援用の証拠

甲第一、二号証(いずれも写を以て)第三号証の一ないし三、第四ないし第六号証

原告本人尋問の結果

二、甲号証に対する被告の認否

甲号各証の成立(甲第一、二号証は原本の存在及びその成立)を認める。

三、被告提出援用の証拠

乙第一号証の一ないし三(いずれも写を以て)第二号証、第三、四号証の各一ないし三、第五ないし第九号証の各一、二、第一〇ないし第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五号証、第一六号証の一ないし三、第一七、一八号証の各一、二、第一九号証の一ないし四、第二〇、二一号証、第二二ないし第二四号証の各一、二第二五号証、第二六号証の一、二

証人太田謙治郎、同戸崎徹、同宮内重治、同岡本達、同野沢富朗、同長嶺紀、同秋場精賢の各証言

四、乙号証に対する原告の認否

乙第一号証の一ないし三、第七ないし第九号証の各一、二、第一〇ないし第一三号証、第一九号証の一ないし四、第二〇号証第二二号証の一、二第二三、四号証の各一、二第二五号証、第二六号証の一、二の各成立(乙第一号証の一ないし三は原本の存在及びその成立)を認める、第六号証の一のうち郵便官署の作成部分の成立を認め、その余の部分並びに同号証の二第二号証第三、四号証の各三、第一四号証の一ないし三、第一五号証第一七、一八号証の各一、二第二一号証の各成立は不知。第三ないし第五号証の各一、二のうち原告に関する部分の成立を否認し、その余の部分の成立は不知。第一六号証の一ないし三の成立は否認する。

理由

一、請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二、原告は、さきに被告が原告に対して提起した訴は真実に反するものであつて、右訴の提起により原告の名誉を侵害されたと主張するので先づこの点について判断する。

証人戸崎徹、同太田謙治郎、同野沢富朗等の各証言に、右証人太田の証言によつて真正に成立したと認められる乙第二号証、乙第三、四号証の各三を綜合すれば、訴外旭運輸梱包株式会社(後に旭産業運輸株式会社、大東株式会社と順次商号を変更)は、被告銀行元町支店から、昭和二五年八月一日、翌九月二日、同月八日の三回に各二〇〇、〇〇〇円、三〇〇、〇〇〇円、二〇〇、〇〇〇円をいずれも手形貸付の方法により、弁済期は順次同年八月三一日、一〇月二日、一〇月七日いずれも利息一〇〇円につき日歩二銭六厘、弁済期後の遅延損害金一〇〇円につき日歩四銭の約で借受け、右のうち同年八月一日借受けの二〇〇、〇〇〇円については同年九月八日当事者合意のうえ、弁済期を同年一〇月六日に延期したこと、及び右各貸付金の支払のために、同会社は被告元町支店宛に、同年九月二日、同月七日、同月八日の各日、請求原因第一項記載の1、2、3の各約束手形を振出交付するに至つたことが認められる。けれども更に右借入金債務及び手形金債務について原告が個人として保証をしたか否かについて考えると、前掲証拠によつて、右貸付に際し、訴外会社を代表して交渉に当つた戸崎徹、得居孝臣、中村正男等が被告銀行に対し右戸崎等三名及び原告が右借入金の保証人となる旨を告げたこと、及びその際交付した前記各約束手形に、いづれも保証人として右戸崎等三名の外原告名義の記名押印のある附箋を附してこれを被告銀行に交付したことを認めうるけれども、他方証人戸崎徹の証言及び原告本人尋問の結果によれば、右は原告不知の間に戸崎等がなしたものであることがうかがわれるので、右事実から直ちに原告が保証をしたとの事実を推認し難く、他にその事実を認めるに足る証拠はない。もつとも、原告において直接保証をしたことがなくても、右戸崎等にその代理権があるとか、或いは権限ゆえつの行為により、原告が保証の責を負うべきことは考えうるところであるが、本件においては、その点につき原告が保証の責を負うべきものと認めるに足る証拠もないので、結局原告の保証の事実はこれを認めることができない。従つて右訴が事実に基くものであるから、これにより原告の名誉が毀損されることはない、との被告の主張は採用できない。

三、しかしながら、他方被告において原告に保証の責あるものと信じて訴を提起し、その信じたことに相当の理由がある場合においては、原告がその訴により仮りに名誉を侵害されることがあつたとしても、被告にその責を負わしめることはできないものといわなければならない。そこで以下この点について判断する。

四、先ず被告が訴外会社に対し、本件手形貸付をなすに至つた事情について考えるに、成立に争いのない乙第一二号証に前掲各証拠を綜合すると、訴外旭運輸梱包株式会社は昭和二四年七月二二日、戸崎徹、得居孝臣等が中心となり、資本金一〇〇万円をもつて、本店を横浜市中区山下町二〇〇番地におき、荷造梱包運搬請負業輸出入貨物取扱等を目的として設立されたものであるが、通関業務に関しては、個人的信用の高いものの名で税関の許可を受けておくことが、何かと便利であるとの考慮から、右戸崎の妻の父に当る原告を、その承認のもとに同社の代表取締役社長とし、同人の名義で税関の許可を受け、戸崎徹、得居孝臣、黒木信治が代表取締役に就任した。そのような事情から実際の業務執行に当つては、通関々係の書類は原告の名義で作成し、その他外部に対して会社を代表する場合には、原告または戸崎、若しくは右両名を代表者として取引をするようになつたが、実質的には、原告は業務執行に関与することなく、当初しばらくの間を除き、横浜は得居が、東京は戸崎がそれぞれ事務を分掌執行していた。同会社は設立の払込当時から、本店の近くにあつた被告銀行元町支店と取引するようになり、昭和二四年九月八日には、同支店と原告風間力衛の代表名義で手形貸付の約定をなし、翌二五年夏頃からは、しばしば手形貸付の方法によつて、事業資金の融資を受けるようになつた。前記認定の三口の手形貸付も、その一環として同会社に貸付けられたものであるが、その衝に当つた同会社の得居、戸崎、中村等は、その貸付に先立ち原告を代表者名義とした借入申込書を提出し、戸崎、中村及び原告がその保証人となることを告げて貸付の申込をしたので、被告銀行支店の支店長太田謙治郎は、その言を信じ、右三名が保証人となることを表示してその都度本店に対して右貸付に関する禀議書を提出したうえ、同人の見込で前記貸付を行いその支払のために、訴外会社から前認定のとおり、原告等四名の保証人としての記名押印のある附箋を附した約束手形三通を受取るに至つた事実を認めることができるのであつてこの事実からすれば、当時被告銀行において右貸付金及び手形金につき原告が保証債務を負つているものと信じたのも誠に止むを得ないものといわなければならない。原告はその際、信用を重んずる被告銀行としては、原告に直接面接若しくは問合せ、或いは印鑑証明書を提出させるなどして、当人の意思を確認すべきであつたと主張するが、そのような方法が確実であり、しばしば行われることであるとしても、常にかかる方法が行われるべきものではなく、前認定のような事情の下ではそのような確認方法をとらずに、原告に保証債務ありと信じたとしても、それがためたやすく被告に責むべき過失ありということはできない。

五、もつとも、被告銀行としてかかる訴を提起する以前に、当然なすべき調査により原告に保証債務のないことを知りうべかりし場合には、なお被告の過失を認めうること原告の主張のとおりであるから、以下その間の事情について考えるのに成立に争いのない乙第七ないし第九号証の各一、二、乙第一〇、第一一、第二〇号証、乙第二一ないし第二四号証の各一、二、乙第二五号証、乙第二六号証の一、二、証人戸崎徹、同太田謙治郎、同野沢富朗、同岡本達、同宮内重治の各証言、証人戸崎の証言によつて真正に成立したと認められる乙第六号証の一、二、証人太田、同岡本の各証言によつて真正に成立したと認められる乙第一四号証の一、二、証人戸崎、同宮内の証言によつて真正に成立したと認められる同号証の三を綜合すると、訴外旭運輸梱包株式会社は、右手形貸付の後、昭和二五年秋頃に貿易上の失策から経営不振に陥り、右借入金の弁済ができなくなつてそのまま弁済期を徒過し、翌二六年初頃には、同社の横浜本店を閉鎖して事務所を東京に移したが、その間代表取締役も順次辞任若しくは変更し、同年六月八日には原告も代表取締役を辞任し、ほとんど休業状態になつた。被告銀行元町支店としては弁済期に支払がないので、当時の貸付係行員野沢富朗をして、度々同社本店を尋ねさせ、弁済方を督促させたが、その都度原告、戸崎、得居等に面会することができず、事務員にその趣旨を伝えて帰るほかはなかつた。そして翌二六年一月頃には、いつの間にか同社の本店が閉鎖されてその移転先は不明となつたので、右野沢は取引先などからその所在を探知し、更に移転先を尋ねたが、責任者に面会することはできなかつた。その後も同人は同社の小切手の動きを調べたり、近所の人から情報を得ることに努めたが、同社の様子は不明であつた。一方被告銀行としては同行が地方銀行であることから、貸付金の回収は穏便にし、主たる債務者から細く長く取立てるように心掛け、保証人に請求したり、担保権を実行したりすることをなるべく避ける方針をとつていたので、その間原告をはじめ保証人達に直接交渉したり督促することを避けていた。しかし、翌二七年八月頃、同行は右不渡手形の決済の必要上、代理人宮内重治弁護士を介し、同月一九日、旭産業運輸株式会社及び原告、戸崎、得居、中村等に対し(訴外会社を除く他の四名に対しては保証債務の履行として)内容証明郵便をもつて、前記三通の約束手形による貸付金の未払金及び遅延損害金合計七六〇、〇四三円二二銭を、同年八月三一日までに支払うよう、もし右期限までに支払のない場合は適当な手続をとる旨の催告を発し、右各書面は即日或は翌二〇日に夫々到達した。これに対し訴外会社からは同月二三日被告銀行元町支店宛て、代表取締役戸崎の名において、同社の不況を報告しつつ、債務不履行を謝し、何等かの方法で弁済したい旨を伝えた回答があつたが、その他の者からは何の沙汰もなかつた。そこで右宮内弁護士は、同月末頃訴外会社の事務所を探し当て、代表者戸崎に面会して債務の弁済について交渉したところ、同人は債務を承認したうえ、同弁護士に対し、被告が同社から右債務の担保として受取つていた新野村貿易株式会社の株式六〇〇〇株は、被告銀行において任意処分し、右債務に充当することに異議はない旨の承認書を交付した。その後同社からは何の回答もないので翌二八年一〇月三日、被告銀行元町支店においては同支店長名義をもつて内容証明郵便により、旭産業運輸株式会社その他前記四名に対し、前記約束手形中請求原因第一項2、3の手形による貸付金の未払金及び遅延損害金合計四七二、二二六円二二銭を右書面到達後直ちに全額支払うよう、若し支払のない場合は法的手続をとるから了承されたい旨の前同様の催告を発し右書面は翌四日訴外会社及び中村を除き、原告等三名にいづれも到達した。しかしながらこれに対しては誰からも何の回答もなかつた。その後翌二九年三月下旬に至り、被告銀行は右手形金債務が時効によつて消滅することを恐れ急拠前記宮内弁護士に対し右手形金請求の訴を提起するよう依頼したので、同弁護士は直ちに請求原因第一項記載のような訴を提起し後に貸付金債務の請求原因を追加主張するに至つた事実を認めることができる。原告は、被告の催告に対しそのような債務を負担していないから調査するよう回答したと主張し、原告本人尋問の結果中にはそれに沿う供述もあるが、右供述は前掲証拠に照らして直ちに信用できず、他にこれを認めるに足る証拠は何もないのでその事実を認めることはできない。

ところで右認定事実によれば、被告銀行においては右債務の取立に付、充分意を用い手段を尽し、右訴を提訴するに当つてもあらかじめ原告等に対し、書面による催告をしているのであつて、これに対して何の責任ある回答も寄せられなかつた以上、被告として訴外会社及び原告等に対し、訴訟の方法によつて債務の履行を求めるに至つたのも、止むをえない措置というほかはない。

六、なお原告は、被告において前記手形貸付に当り、訴外会社からその担保として、新野村貿易株式会社の株券六、〇〇〇株を受領し、前記訴の提起前にこれを自行名義に書替え処分しながら、この事実を秘して右訴を提起したと主張するので、この点について考えるのに前項掲記の各証拠に、証人秋場精賢、同長領紀の各証言及び証人野沢富朗の証言によつて真正に成立したと認められる乙第一五号証乙第一七号証の一、二、証人秋場精賢の証言によつて真正に成立したと認められる乙第一八号証の一、二、証人岡本達の証言によつて真正に成立したと認められる乙第二一号証を綜合すると、被告銀行は訴外会社に対する前記手形貸付に際し、同会社からその担保として当時代表取締役であつた前記戸崎、得居、黒木名義の大弥産業株式会社(後に新野村貿易株式会社に吸収合併)の株券各二、〇〇〇株(額面合計三〇〇、〇〇〇円)を、いずれもいつでも名義書替のできる状態で受領し保管していたが、有債務はすべて弁済期に支払がなく、翌二六年一月頃には、同会社本店の所在が不明となつたりしたことから、万一事故によつて右株券が焼失または紛失するような場合、債権の保全ができないことを恐れ、他方その配当をもつて右債務の一部の弁済に当てようと考え、昭和二六年二月九日、右株式を被告銀行貸付係行員野沢富朗名義に変更し、続いて翌二九年二月一一日同人の後任岡本達の名義に変更してこれを保管し、同二六年七月二三日配当金三〇、〇〇〇円を、同三一年六月四日同二七、〇〇〇円を各受領して、前者は内一〇二円を請求原因第一項の3の約束手形金にその余の二九、八九八円を同1の約束手形金の弁済期後昭和二六年七月三一日までの利息に各充当し、後者は右3の約束手形金の内入金に充当した。その間右債務の決済の必要上右株式を処分しようと考え、訴外野村証券株式会社に右株価を照会したり、取引先を通じて新野村貿易株式会社にその買取方を依頼する等その処分に努力したが、右株式は当時非上場株で店頭売買もなく、わづかに同社内部の斡旋で額面以下で取引される情況にあつたため、容易に処分できなかつた。そして前記訴訟が終了した後である昭和三一年六月一五日、野村貿易株式会社(後に商号変更)大阪本店の斡旋によつて、倭会に二七〇、〇〇〇円(一株四五円)でようやく処分することができた事実を認めることができるのであつて、原告主張の事実を認めえないばかりでなく、右担保株券の保管ないしは処分に関し、被告に責むべき過失ありということはできない。

七、原告は更に被告が訴を提起した後いたづらに訴訟を延引し、訴権を濫用して原告の名誉を毀損したと主張するので考えるのに、成立に争いのない甲第三号証の一ないし三、原本の存在並びにその成立に争いのない乙第一号証の一ないし三に証人宮内重治の証言及び弁論の全趣旨を綜合すれば、右訴訟は八回に亘り口頭弁論を重ねたが、うち第一ないし第三回は右事件の被告中、中村正男に対し訴訟が送達されなかつたために、弁論が当事者によつて区々によることを避ける目的で、原告(本件被告)代理人の申請によつて弁論期日を延期し、第四回目の期日にはじめて双方の弁論が行われた。しかしながら、その際本件原告の風間力衛から、本件被告銀行に対し、風間は他に神戸銀行からも同様約束手形金請求の訴を提起されたが、それは取下になつたから本件も取下げてはどうか、との話があつたので、被告銀行は代理人の意見もあつてその取下を決意し、第六回口頭弁論期日に原告、戸崎、中村に対する各訴の取下を申出た。そして当時の代理人宮内弁護士は、昭和二九年一二月三日附書面をもつて原告に対し、取下同意書を同封し右訴取下の同意を求めた。そして原告はその取下に同意しなかつたが、次の第七回口頭弁論期日に出頭しなかつたので、同弁護士はその同意がえられるものと考え、第八回の期日に出頭しなかつた。そのため同期日に右代理人不出頭のまま原告風間に対する右訴訟は終結され、被告(右事件の原告)敗訴の判決がなされるに至つた事実を認めることができる。そしてこの事実からは、当時右事件の原告であつた被告銀行において、特に訴権を濫用するとか、訴権の行使に当つて守るべき義務を怠つたとか、そういう事実は到底認めることができない。その他右のような事実を認めうる証拠は何もないから、この点においても被告に責むべき過失ありということはできない。

八、以上のとおりであるから仮りに原告において前記訴の提起によりその名誉を侵害されたとしても被告においては右訴を提起するに当つて、別段故意または過失がなかつたものというべきであるから結局被告にその責めを帰することはできないものといわなければならない。

九、しからばその余の判断をまつまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却すべきものとし訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山村仁 島田稔 千種秀夫)

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